3.11大震災

このたびの大災害で被害に遭われた方、心よりお見舞い申し上げます。
あれから一週間が経過しましたが、伝えられる情報では、ようやく少しだけ復旧が見えてきているという感じです。
私に関しては当時、東京の職場にいて、はじめは「大きな揺れだな」と感じ、なかなか終わりのない揺れの中で「こんな激しい揺れで震源が別の地域だとしたら、どれほど大きな地震だろうか…」と思いました。
仕事そっちのけで上司のREGZAフォンでワンセグを見せてもらい、NHKを凝視。しばらくすると、宮城県沖で震度7とかいう唖然とする数字が出ていました。
職場は5階ですが、PCがじゃんじゃん倒れるようなことはあまり見あたらず(後日、故障してい機械はいくつかありました)、たいした被害はなさそうでした。
すると外からけたたましいサイレンの音。大きな地震だったから何かあったからだろうと思っていたら、何やら音が大きくなって重なってくる。ブラインドをこじ開けて外を見ると、うちのビルにはしご車が横付けされている。
「もしかしてこのビルが燃えてる!?」という話で、オフィスは若干パニックに。
結局、みんなビルの外に降りてきてみてわかったのですが、燃えてるのは隣のビルでした。すぐに鎮火したのか分からないが、下からは火の手が見えなかった。
そこからは、とても仕事に戻れる雰囲気ではなくて、会社として帰宅命令、というかOKが出た。
そこからは当日翌日の報道などでもあったように帰宅難民。何しろ自宅まで80kmも離れてるから最初から帰れるなんて思ってない。幸い、野宿だとかそういうのは免れたけど、自宅に帰り着いたのは翌日3/12の午後5時でした。
それからというものバタバタとして、刻々と変わっていく被災地の情報に一喜一憂…ではなく一憂二憂しながら、輪番停電に備えた準備など。14日には今なら高速道路を通っても邪魔にはならないと判断し、妻子を実家に帰省させる元々帰省予定だったので準備をしていた。
これからどうなるんだろう、という不安はある。「これから」が無くなってしまった人が数多くいる以上、それは贅沢な不安なのかもしれない。
日本は震災前と震災後で変わってしまった。
おれは、出来ることをやっていこうと思う。