人の作りしものより天然の防壁は強し

「松島が守ってくれた」対岸の町、死者1人(YOMIURI ONLINE)
今回の大震災で国宝・瑞巌寺被災したものの建物は無事だということで、大不幸中の幸いというか安堵するとともに「しかしあんなところに建っているのに、どうして大丈夫だったのだろうか?」という疑問が残っていた。

島々の対岸にある松島町の死者は、22日午後6時現在、1人にとどまっている。隣の東松島市の犠牲者は650人を超えた。住民は「島が津波から守ってくれた」と感謝、美しい景観を取り戻そうと、流れ着いたがれきの撤去に取り組み、再生に動き出している。

記事にもあるとおりそもそも松島町の被害が非常に少なかったらしい。松島の島々が大津波の緩衝材として働き、町が飲み込まれるようなことが無かったのだろう。聞いてみると確かにわかるが、そういうものなのか…と複雑に思う。
一方で、巨大な防壁を築きながら、自然の前に成す術もなかった町がある。岩手県宮古市田老町だ。
東日本大震災 防潮堤「油断あった」 宮古市田老 岩手(産経)
ここは実に50億円の巨費を投じて10mもの高さがある防潮堤を構築していた。住民は「これなら大丈夫」と安心していた人もいるという。

鳥井隆さん(81)は、今回の地震で2度目の津波を経験した。しかし、三陸地震津波のときは4歳で、ほとんど覚えていない。

 鳥井さんは「防潮堤を造ったからと油断して逃げなかった人もいた。過去の教訓を今回の津波は超えてしまった」と悔やんだ。

しかし今回の大津波はそれをいとも簡単に超えてしまったという。田老町は他の地区と同様に甚大な被害を被った。住民によっては、防潮堤がある安心感から高台への避難が遅れたかもしれない。
ますます複雑な気分になる。
防潮堤はある程度の津波は確かに防げる。しかし想定以上の津波が来た場合には意味がない。すべての想定を満足するには天文学的な巨費を投じて、それこそ日の出がかなり遅れるくらいの高さのものを構築しなくてはいけないのだろう。それは現実的ではない、結果的に今回の大津波が来なかった地点までの撤退、すなわちそこから下に住まないようにする他ないのだと思う。土地に思い入れのある住民にとっては耐え難いことだろうけど、おそらくそうなる。
残念ながら、どんな津波にも打ち勝てるような技術を得るには、人間には難しいのではないか。これは住民にとっては絶望であるし、災害に立ち向かう技術者としては悔しいことだと思う