むかしはなし

id:fuiのところに時折荒らしというかネガティブコメントを残す困ったさんがいるんですけども、いちおうコメント内容が一環しているので、本人的には「これは荒らしとか付け替えとかは一切ない」と言い張るに違いないんだけど、今までヌルイ世界だと思っていたはてなにもそういう気骨ある人間がいることを知って、ちょっと感動した。
惜しむべき点があって、とりあえず日本語検定でも受けてほしかったりするのだけど…。
とはいえ、どうも前にお亡くなりになった亀について、てめえが殺したんだろ、氏ねボケ、このカス女の腐れ外道が!と言いたいのと、そこに隠れ見える彼女に対するある種の嫉妬、羨望、やっかみが感じ取れる。残念ながら人間には生まれながらに格差ってものがあるんだよ(笑。私も少長じてから思ったら例えば生まれつきの経済格差などは本人の実力で行き様によってどうにでもなる。私なんて母親が父親の多額の借金を背負って、金を稼ぐ為につらい仕事に切り替えて、帰ってきてもぐったりしているだけで、親らしいことはあまりしてもらってないし、「うちにはお金がないから悪いけど高校も出してやれないよ」と言われたときはさすがにやばいと思っていろいろ仕事をやり出したんだけど、そういう極貧時代を過ごしたとしても、社会に出て頑張れば人並みな暮らしはできるようになる。感覚的には追いついたっていうのかな。
頑張ってもうまくいかない人は多分頑張り方が間違ってて、あるいは頑張るべきところがわかってなくて、それはそれで問題で今すぐ周りをちゃんとみて修正を図ってほしい。
話が脱線した。
そう、格差の問題。この歳になって格差でもどうしようもないと思ったのが性格の格差というものだ。これが大変に厄介で、なかなか解消しない。歳取るほど無理になっている気がする。
他人を恨み、羨み、やっかむようになるのは人間に醜い部分で、これはやっぱり幼少の頃の家庭環境に由るところが大きいのだと思う。虐待を受けてたことがある人は自分の子供にも虐待してしまうということがあるらしい。私もあまりよろしくない環境に育って、まわりも不良とかヤクザな連中ばっかりだったけど、それでも楽しく人生を過ごせてきたのは、ひとえに母親はいちばん苦しい時になって明るく笑顔を絶やさなかったことだ。ネガティブにならないこと、他人に対してもネガティブにならないことが、いくばくかも性格の格差を解消する処方箋になると自分の経験上感じている。
そういったことを踏まえた上で、しかしながら厳しい言葉を言ってもらえるということの有難さもちゃんと受け止めるべきだ。大人になると仕事以外ではなかなかそういうこともなくなってくる。みんなが気を使うようになる。諦められるというか(笑。
厳しい言葉は大概において一理あることが多々あるので、無視したり放置しないで真剣に受け止めることで、自分の糧となる。だから厳しい言葉、コメントをくれる人を絶対に毛嫌いしてはならないし、むしろ優遇するようにしなければならない。それが出来なくなると、人間としては退化が始まってくると思う。
良い言葉、コメントだけ、都合の良いものだけ見るようになるなかれ。悲しいことは一生背負い続けていこう。そして頑張ってほしいと思う。